※本稿は、AAF学校2014「アート・プロジェクトを伝えるワーキング」の実施を通して制作されたものを転載しています。

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『浦戸食堂 まりこさんのカレーとその記憶』会食の風景

「あの時は島におったんですか。」3年前、そこが津波に襲われたことをすっかり忘れさせられてしまうくらいに楽しい雰囲気のする食事会の最中に、突然その時の話がはじまり、私は少し身をこわばらせた。
 師走の寒空の中、一緒に船へ乗り込み宮城県・松島湾に浮かぶ寒風沢(さぶさわ)島へ訪れた、湾の沿岸に暮らす人と島の人の会話の調子は思いのほか明るさを保っている。月日がそうさせるのか、私のような東京の余所者の耳にも入る場で話すことに慣れているのだろうか。消防団が不在の時で避難の呼びかけが大変だったこと、チリ津波の経験があったから家までは流されないと思っていたが甘かったこと、雪が積もり寒い中みんなで炊き出しをしたことなどを淡々と島の人が話し、同じテーブルを囲む人々が相づちを打つ。
 それは、少なからず同じような思いをした人たちが、その時大変だったからこそ、今を一緒に楽しむことができているという、むしろその幸せをかみしめているようにも見える風景であり、その時には思いが及ばなかった私のような人にもその輪を開いてくれているような、あたたかい時間だった。

 10月に行われたという〈アサヒ・アート・フェスティバル2014〉参加企画『湾の記憶ツーリズム』の現場にも、同様のひと時があったのではないだろうか。
 寒風沢島を含む浦戸諸島が浮かぶ松島湾は、数百年前からほとんど地形が変わっていないという。諸島への出発地となる塩釜港で船に乗り込み、その景色を眺めつつ、立ち寄った島々で島歩きや食事、ワークショップ、トレッキングを行ったという体験型のプログラムは、その名の通り「ツーリズム」に寄りつつも、「記憶」を共有するという共通のテーマが見出せそうだ。

 この『湾の記憶ツーリズム』や、今回私が参加した『浦戸食堂 まりこさんのカレーとその記憶』は、2013年にはじまった〈つながる湾プロジェクト(以降、つながる湾P)〉の一環として行われている。(主催:ビルドフル—ガス+一般社団法人チガノウラカゼコミュニティ、えずこ芸術のまち創造実行委員会、東京都、東京文化発信プロジェクト室[公益財団法人東京都歴史文化財団]、共催:塩竈市)
 地域や人の交流を生むことを目的に航海する自走船「TANeFUNe(※)」が浦戸諸島へやってきたことをきっかけに始まったこのプロジェクト。松島湾に面する地域や浦戸諸島の文化を、海からの視点で再発見しようと、地元の若者や美術家らが中心となって始めたものだ。

※アーティスト・日比野克彦の監修・デザインのもと、2003年から全国各地で行われている『明後日朝顔プロジェクト』を元に着想、京都・舞鶴で行われた『「種は船」プロジェクト』(2010年〜)を通して生み出された船。2012年から日本海沿岸を航海している。

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かつてその喫茶店があった場所を案内する、つながる湾プロジェクトメンバーの土見大介

『浦戸食堂』を企画したのは、松島湾も近い石巻を震災後から拠点としているアーティスト・増田拓史。黄金町(横浜)や前橋など、各地で日常的に食べられている家庭料理にスポットをあて、その土地の人々の姿や地域の特徴、懐かしい記憶を未来へ残し、伝えていく「食堂」プロジェクトに取り組んでいる。
 今回は、津波で流されてしまったという、寒風沢島の憩いの場でもあった喫茶店の人気メニューだった、店主・長南まりこさんのカレーライスに注目。つながる湾Pのメンバーとともに、喫茶店やまりこさん、カレーライスにまつわる記憶を持つ人々へのインタビューに取り組み、それを共有する体験型のプログラムをつくりあげた。
 つながる湾Pメンバーと共に船に乗り込み、島を訪れた人々は、まず彼らの案内でお店のあった集落跡を訪れ、近くの集会所でかつてのカレーの味も知る島の人々と合流。同じテーブルにつき、撮り集められたインタビュー映像を鑑賞。そして、久しぶりにつくられたカレーを共に味わう。ちなみに、その合間に起こった出来事が本稿冒頭の一節だ。
 カレーを味わった後は、インタビューがまとめられた用紙を和綴じで製本して、参加者はそれを持ち帰ることができる。製本した冊子には、この日自分が食したカレーの記憶を書き込むページも設けてあった。

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インタビュー映像を見る参加者たち/『浦戸食堂』メンバーと増田拓史(右)

 アートフリーク目線で言えば、殺風景だったはずの集会所がテーブルクロスで彩られたしつらえや、インスタレーション風に3台のモニターを使って流れる映像、冊子にまとまる気の利いたアウトプットにまず反応するだろう。
 見どころ(体験しどころ)はしかし、テーブルに並ぶカレーの味、映像の内容、冊子づくりという行為を通して引き出される人々のコミュニケーションである。切ないテーマであるはずなのに、幸せで、あたたかい雰囲気に包まれる会場。そしてそれをつくりあげている、最も意欲的な参加者だとも言えるプロジェクトメンバーや、まりこさんの嬉しそうな姿。それらが何とも言い難い、いい場と時間を生み出しているように感じられた。
 また、これをひと時の楽しみに終わらせるのではなく、参加者自身の手でお土産の冊子をつくるという、これまでの「食堂」プロジェクトから一歩進んだ仕掛けも印象深かった。「記憶を紡ぐ糸」としてパッケージされた糸を使い、各々が限られた時間の中で少しでもきれいに仕上げようと奮闘する。この日だけの参加者も、共にプロジェクトをつくりあげるメンバーになる喜びを感じられるひと時だ。少し大変だけれども、こうして手を動かすことで「記憶」は留められ、口述とは別の形で「記録」として伝えることができるようになる。島の人たちにとっては、失われてしまった憩いの場の大事な証になるようだ。これは、つながる湾Pや増田自身が普段から取り組んでいることそのものとも見事にリンクしている。

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製本作業にはげむ参加者/記憶を紡ぐ糸

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できあがった「浦戸食堂」BOOK

 つながる湾P中心メンバーのひとりである高田彩(ビルドフルーガス)は、「震災前から塩釜を拠点として、コミュニティにおける個人の役割をアートやクリエイティビティを通して引き出す活動をしてきました。つながる湾Pは松島湾という地域を舞台にしている点で新しい挑戦。それに共感した感性豊かなメンバーが集い、それぞれの能力を発揮してキラキラしている姿を見ると、自分自身もアートを通して前向きに生きる力をもらっているとあらためて感じられるし、社会の見方や関わり方に可能性を見いだせます。」と語る。
 同じく中心メンバーの津川登昭(一般社団法人チガノウラカゼコミュニティ)からも、つながる湾Pのメンバーが主体的に活動していることをうかがわせるコメントをもらった。「私はどちらかと言うとまちづくり側の立場で、はじめはアートにどう関わるのか手探りでした。地域を知るためのアートプロジェクトが、どんどん自分を知るための活動になり、アートとまちづくりの境界、スタッフと参加者の境界の線がなくなってきたように感じています。」

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高田彩(左)と『浦戸食堂』の長南まりこさん(右)/津川登昭(左)と『そらあみ』の五十嵐靖晃(右)

『浦戸食堂』の翌日には、これまでつながる湾Pが行ってきた『チームwan勉強会』、『語り継ぎのためのリーディング』、アーティスト・五十嵐靖晃による『そらあみ』、TANeFUNe船長/記録写真家・喜多直人による写真展などのエッセンスを詰め込んだ『湾の記憶をたどる旅展』が塩竈市公民館本町分室で行わた。ここで詳しくは書かないが、ただの報告展ではなく、勉強会で得た知識を楽しい「すごろく」につくりかえられていたり、1日の時間の中で各プログラムに携わっている人の姿が見えるようにトークがうまく組み込まれていたりと、工夫に満ちた体験型のプログラムになっていた。
 そしてもちろんここにも、嬉しそうにプログラムに携わるつながる湾Pメンバーや、彼らと楽しそうに会話を交わす来訪者らの姿を目にすることができた。ここには確実に「つながる湾」コミュニティとも呼ぶべき幸せな関係性が生まれている。

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すごろくのイラストを手がけたつながる湾Pメンバー(右)/会場でしばしば見かけた記念撮影の風景

 このようなアートプロジェクトの現場へ足繁く通うようになっていつも思うのは、短時間の「訪問」で済ませるのではなく、願わくば時間をとって実際に関わってみるのが一番の楽しみ方だし、そうやってこそはじめてその価値が分かるのではないのかということ。課題は、近頃様々な場で議論されている、その閉じがちな性質や批評不可能性である。
 それをつながる湾Pでは、『湾の記憶ツーリズム』や『浦戸食堂』のようなかたちで濃密な体験プログラムを用意してみたり、『湾の記憶をたどる旅展』のようなかたちでアウトプットを工夫してみたりすることで、(少なくとも部分的には)開いたものにし、批評可能にしていると言ってもいいのではないだろうか。そしてこれからも何かしらの形で継続していくこのプロジェクトの現場は、湾というゆるやかな地域性がもたらしているのかもしれない、オープンマインドな空気で包まれていることだろう。