近江商人と水郷で有名な、琵琶湖東岸に位置する近江八幡市。その歴史あるまちなみの町家や蔵などが立ち並ぶ地区に、障害のある人の表現活動の紹介に核を置きながらも、それにとどまらない活動を展開するボーダレス・アートミュージアムNO-MAがあります。

今回とりあげるのは、このNO-MAと近隣の計8会場で、35作家、1077点のアール・ブリュット作品を紹介したエリア周遊型の展覧会〈アール・ブリュット☆アート☆日本〉展。(2014年3月1日〜23日)

メイン会場となるNO-MAでの展示に、設営スタッフとして関わるとともに、ボランティアスタッフとしても数日間参加する機会があり、福祉と美術の境界を超えた現場で感じたことについてレポートします。

取材・文:米津いつか

 

アール・ブリュットとは

「アール・ブリュット」という言葉を耳にする機会が増えています。フランスの画家、ジャン・デュビュッフェが提唱したこの言葉は「生(き)の芸術」と訳されます。精神障害や知的障害のある人のアートと思われがちですが、専門的な美術教育を受けてない人が、伝統や流行などにとらわれずに自身の内側から湧き上がる衝動のまま表現した芸術のことを指します。私自身、こうした言葉での知識しか持ち得ておらず、今回の展示に関わるまでは、アール・ブリュットとは何なのかを語る術はありませんでした。

先に挙げたアール・ブリュットの定義からすると、NO-MAに出品した日比野克彦は、今回の出品作家群の中では一人だけアール・ブリュット作家ではないですが、2004年に開館したNO-MAの10年という節目のタイミングでもあり、障害の有無など様々な境界を超えたボーダレス・アートミュージアムのコンセプトが企画の核にあることが窺えます。

特別展示の会場となるNO-MAの展示構成は日比野によって行われました。1階には日比野が第46回ヴェネチア・ビエンナーレに出品した翌年1996年の作品が壁面に展示されています。会場中央には、滋賀県出身のアール・ブリュット作家である澤田真一の作品。澤田も昨年2013年に開催された第55回ヴェネチア・ビエンナーレに出品しています。親和性のあるそれぞれの作品を眺めながら、ヴェネチア・ビエンナーレに参加するということの意味について、またそれがアール・ブリュットであったことの歴史的意味合いについて考えを巡らせる空間となっていました。

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ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 1階 展示風景

NO-MAでは2006年から全国でアール・ブリュットの作品調査を始めており、2011年からは台湾での調査も行っています。1階には、台湾のアール・ブリュット作家、林瑋萱と日比野の作品が上下に展示されている壁面があります。訪れる人たちが「違う人が描いたものなんだ。」とつい口にするほどその色使いや雰囲気が似ているのですが、日比野本人は「自分の絵の方が作為的なものが読み取れるような気がしてしまう」と話していました。

蔵に置かれた作品を見て2階に上がると、天井から吊るされた日比野作品が目に飛び込んできます。ダンボールに毛糸で人物が表現された作品《種の人》。ある二人の間に段ボールの板を立てて、見えない相手に声をかけながら毛糸のついた縫い針を互いに刺しては、抜いて、そしてまた刺していくことで完成した人物像は、日比野が全国で展開する《明後日朝顔プロジェクト》に登場する朝顔の「種」を擬人化した「人」です。遠く離れて見えない人と人が種で結ばれていく、そのやりとりを表現して生まれたのがこの作品です。

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日比野克彦《種の人》(2007年)

窓際の床に展示された日比野の作品《on the bridge》(2002年)は、今回、私にとってはアール・ブリュットが何であるかを捉えるための作品となりました。

バルサ材や小枝などで作られたこの作品は、日比野自身が手を動かして作ったものではありません。2002年に茨城で行われたワークショップで、年齢も環境も様々な参加者たちの手によって作られたもので、今回展示するにあたってかなりの修復が必要でした。当時のワークショップの写真を見たりしながら、日比野の誘いによって参加者それぞれが自分のエピソードを含有する橋を制作したことを思い出します。それぞれの橋が完成したところで、天気がよかったのでその橋を持って屋外に出ると、誰からともなく橋が繋げられました。ひとりひとりの表現が新たな表現を生み出す力となることをおそらく日比野自身もはっきりと意識する契機となり、この作品は同年、上記のタイトルを付して水戸芸術館現代美術センターで行われた〈12人の挑戦—大観から日比野まで〉に出展されました。

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日比野克彦《on the bridge》(2002年)

アール・ブリュットは発見者がいないと成立しません。ワークショップで作家によって表現力を引き出され、世の中にお披露目された作品を目の前にして、福祉施設の支援員らによって引き出されるアール・ブリュットにも人と人との関係性が存在することに気づかされました。自分が普段から惹かれている、ワークショップやアートプロジェクトにと通じるものがそこにはありました。

他の出品作品を挙げてみると、カネ吉別邸に写真が展示された今村花子さんの作品は、食べ残しです。彼女は食事をしながら、楽しそうにその食べ残しを並べていくのだそうです。そして彼女のお母さんがこの残飯アートを写真に撮っています。「これは長年、母と花子さん二人だけの誰も知らない世界一小さな楽しいアート現場であり、この煮詰めた関係は、まさにアートの原点である。」(「アール・ブリュット☆アート☆日本」展カタログより)とNO-MAのアートディレクターはたよしこが記しているように、誰かと誰かの関係性があって、はじめて私たちが目にすることができる芸術表現行為、それがアール・ブリュットなのです。

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今村花子 カネ吉別邸 展示風景

アール・ブリュットが作品として世に出される現場には、支援員さんたちのさまざまな葛藤が存在することも忘れてはいけません。

NO-MAを運営する滋賀県社会福祉事業団(2014年4月より社会福祉法人グローに名称変更)の田端一恵さんにお話を聞きました。「支援者は常に、その支援がその人にとって適切かどうか悩み迷いながら、そのときに一番適切であろうと思われる支援をしています。本人が手放したくないと思っている大事なものを、展示のために離してしまっていいのだろうかとか、普通は展示を行う場合、作り手の意見を取り入れるでしょうが、アール・ブリュットの場合は、あなたが作った作品を私はこう捉えたよという対話なのです。」

また、田端さんから聞いた「アール・ブリュット作家さんが展示会場を訪れた際、他の人の作品に見向きもせずに自分の作品のところへ直行する」というエピソードには、人はなぜ表現するのかという根源を突きつけられたような気さえします。アール・ブリュットは、私たちに、アートとは、表現行為とは、という問いを投げかけます。

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今村花子 カネ吉別邸 展示風景

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左:宮間英次郎 右奥:河野咲子 奥村邸 展示風景

 

福祉の経験が生かされたボランティア体制

この展覧会は、NO-MA関係者の間では「界隈展(かいわいてん)」と呼ばれています。10年間この地域で活動をしてきたNO-MAとしても「界隈」を巻き込んでの周遊型展覧会は初の試みだそうですが、細部に渡り、驚くほどにきめ細かいフォローがあったので記しておきたいと思います。

NO-MAをのぞく各会場にはそれぞれに2-4名のボランティアスタッフが配され、開館準備、受付、会場の監視、閉館作業の主に4つの活動を行います。〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ〉のボランティアスタッフは「こへび隊」、〈瀬戸内国際芸術祭〉は「こえび隊」など、ネーミング豊かなボランティアが全国のアートプロジェクトには存在していますが、今回特徴的だったのは、有償ボランティアとして公募がかけられたことです。プロジェクトを継続するにあたって、金額的にはわずかであっても、ボランティアする側にとっては確実にプラスに働くものとなります。車で通う場合の交通費の金額設定や、駐車場についても事前にしっかりと対応が決まっていました。

事前ボランティア説明会も開催され、多くの質問が飛び交っていたのも印象的でした。近江兄弟社のウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築物が多数存在するこの地域で、そちらのボランティアに参加経験のある方もいました。また、京都や兵庫など他県からの参加も多く見られました。

ボランティアスタッフは、朝まず拠点であるNO-MAに立ち寄り、活動記録簿に押印をします。割り当てられた会場用の道具一式が入ったケースを受け取りますが、その中には会場ごとに異なる施錠解錠の仕方の写真入りマニュアルや、鍵、日誌、筆記用具、日付スタンプ、カウンター、携帯電話などが入っています。

日誌に記入した内容には、必ず運営スタッフからのコメントが書かれており、最大限に活用されていました。ある日の帰りに備品の不足について日誌に記入しておいたら、翌朝にはもう購入されて用意されていたという反映の早さがありました。現場の声が確実に届くことがすぐにわかるので、ボランティアスタッフも自ずと気づきを共有するという好循環が生まれていました。

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朝、活動記録簿に押印する際に掲示されていた連絡事項。お客様の反応に対する運営スタッフからボランティアスタッフへの感謝の言葉も。

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ボランティアスタッフがパスポートの押印場所を間違えないようなツールも準備されていた

アートプロジェクトの現場で時間をかけて積み上げていくようなボランティア運営のノウハウが、今回の展示には初めから備わっていたと言っても過言ではありませんでした。それは長年福祉の現場で培われてきたものであって、一朝一夕に出来たものでは決してありません。美術と福祉の境界を超えて、今回の展示はまさにボーダレスな現場として私の身体に記憶されることになりました。

今回すべては紹介できませんでしたが、普段は入れない町家や蔵など、近江八幡市の重要伝統的建造物群保存地区一帯の歴史的な町並みの散策とともに、各会場が非常に魅力的であったことも添えておきます。エリア周遊型の展覧会は全国でも様々な場所で行われている中、予想の出来ない作品との出会いは本当に素晴らしい体験でした。地域、人、アートに、とにかく可能性を感じた展覧会。次回の開催があるとすれば、ボランティアがより早い段階から地域や作家と関わることのできる機会になることを期待して、このレポートを終わりたいと思います。

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アール・ブリュット☆アート☆日本

[会期] 2014年3月1日〜3月23日

[会場] ※近江八幡市重要伝統的建造物群保存地区の以下8施設
ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(滋賀県近江八幡市永原町上16 旧野間邸)
カネ吉別邸(為心町元)
旧吉田邸(多賀町758)
奥村邸(永原町上8)
まちや倶楽部(仲屋町中21)
かわらミュージアム(多賀町738-2)
旧八幡郵便局(仲屋町中8)
尾賀商店(永原町中12)

[参加作家]
伊藤喜彦、今村花子、大江正章、小原久美子、金崎将司、鎌江一美、工藤みどり、河野咲子、古久保憲満、佐藤朱美、澤田真一、魲万里絵、武友義樹、富塚純光、中田勝信、似里力、西澤彰、秦野良夫、日比野克彦、藤野友衣、堀井正明、松本寛庸、三橋信勝、宮間英次郎、横山篤志、吉田格也、吉田真理子、渡辺孝雄、王彦成、黄啓禎、鄭鈴、陳立夫、王耀樟、林伊儷、林 瑋萱(※五十音順)

[主催]
アール・ブリュット魅力発信事業実行委員会(構成団体:ボーダレス・アートミュージアムNO-MA、滋賀県、近江八幡市、一般社団法人近江八幡観光物産協会、特定非営利活動法人はれたりくもったり、アール・ブリュット ネットワーク、滋賀県施設合同企画展実行委員会)